コーヒー名人
ティパーティ

アメリカのコーヒーというと、切っても切れないのが「ボストン茶会事件」です。世界史の勉強で覚えた方も多いのではないでしょうか?

ボストン茶会事件とはどの様な事件なのでしょうか?そして、一体なぜボストン茶会事件は起きたのでしょうか?

以下で詳しく見ていきましょう。

茶会事件

(画像参照元:Wikipedia)
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アメリカへのコーヒー上陸

ヨーロッパからアメリカへ最初にコーヒーを伝わったのは、1607年のことです。

トルコを旅していた際にコーヒーを知ったキャプテン・ジョン・スミスが、船で約100人の植民団と共にアメリカのバージニア州に上陸し、ジェームスタウンという植民地を作った際に、コーヒーがアメリカに初めて伝わったのです。

ボストン茶会事件でアメリカはコーヒーの国に!

アメリカにコーヒーが伝わった後は徐々に需要が増えていきましたが、一気にアメリカがコーヒーの国となったのはある事件がキッカケです。それが「ボストン茶会事件」です。

17世紀以降は、イスラム商人とヨーロッパ列強が「コーヒー貿易戦争)」を繰り広げており、その中でイギリスがオランダやフランスに負けてしまいました。

:実際に戦う戦争ではなく、コーヒー貿易の争奪戦です。コーヒー交易は17世紀まではイスラム商人に独占されていたのですが、ヨーロッパがアフリカやアジアを植民地にした事で、激しいコーヒー貿易の争奪戦が繰り広げられました。

イギリスの敗北は、植民地のアメリカにとっても影響が大きく、イギリス政府は植民地に対して「茶条例」を発布し、輸入紅茶を独占して価格をつり上げ、重い税金も課したのです。

これに反発したアメリカ人は、1773年にボストンに停泊中の東インド会社の船を襲い、積荷のお茶を船から海へ投げ込んだのです。これが俗にいう「ボストン茶会事件」です。

ティパーティ

(画像参照元:Wikipedia

この事件を機に、アメリカで紅茶人気は下火になり、コーヒーが一気に浸透する様になりました。そして、ボストン茶会事件は後に起きるアメリカ独立戦争のきっかけにもなっています。

参考:アメリカンコーヒーが他のコーヒーと比べて薄めなのは、それまで飲んでいた紅茶に味を似せるため、という説が有ります。

ボストン茶会事件の様子を再現した博物館「Boston Tea Party Ships & Museumがボストンに有り、当時の様子を学んだり、お茶を楽しむ事も出来ます。

機会が有れば行ってみたいですね。

コラム:ボストン茶会事件は誤訳?!

ボストン茶会事件についてよく言われるのが、「誤訳では?」という点です。英語では”The Boston Tea Party“ですが、Partyを「茶会」と日本では訳しています。

誤訳

確かにPartyは、パーティという意味が有るので、Tea Partyは「茶会」と訳しても良さそうな気もしますが、Partyには他にも意味が有ります。それは「」です。

例えば、アメリカの「共和党」は英語表記すると”Republican Party”になります。この様に、「茶会」ではなく「茶党」と訳されるのが正しいのでは?と指摘されるのです。従って、「ボストン茶党事件」が正しい日本語訳という説ですね。

但し、これが正解とも言い切れません。

Tea Partyは歴史上の「出来事・事件」で、特定の「徒党」や「集団」を指すものでは有りません。あくまでも、この事件はイギリスに反発したアメリカの方が起こした暴動に過ぎないのです。

この様に解釈されているため、The Boston Tea Partyは「ボストン茶党事件」ではなく「ボストン茶会事件」や「ボストンティーパーティ」と呼ばれているのです。

また、暴動の際に大量の茶葉で海が覆われた様子をみたボストン市民が「ボストン茶会を開いた!」とジョークを言った事が、事件名の由来とも言われています。(参考:J.バーダマン・村田(編)『アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書』(ジャパンブック)2005年)

これが事件名の由来だとすると、茶会と訳するのは正しいですね。

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