コーヒー名人
青い瓶

ウィーンで最初のカフェ「青い瓶」とは?


オーストリアのウィーンと言えば、カフェが華やかに町を飾るパリと並んでカフェ文化の有名な都市です。

このウィーンで初めて開かれたカフェは「青い瓶(ブラウエン・フラッツェ)」と言われています。

ここでは、ウィーン初のカフェ「青い瓶」について見てみましょう。

ウィーン

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「青い瓶」が出来るまで

神聖ローマ帝国の首都だったウィーンは、1683年にトルコのモハメッド4世の指示によりカラ・ムスターファが率いたトルコ軍に包囲され、間もなく陥落という状況にまで追い込まれていました。

ポーランド王国からの援軍を待っていたのですが、いくら待っても援軍は来ませんでした。しかし、そんな中トルコ軍による包囲網を突破したトルコ語が堪能な伝令係がいました。彼のおかげでポーランド軍への伝令に成功し、無事にトルコ軍を撃退する事が出来たのです。

この時の伝令係がポーランド人の「フランツ・コルシツキー(Franz Kolschitzky)」です。トルコ軍は撤退する際に大量のコーヒー豆を残して行き、コルシツキーはこのコーヒー豆を貰い受け、同様に贈呈された一軒家でコーヒーハウス「青い瓶」をオープンしました。

青い瓶

(青い瓶:Wikipediaより)

今でもウィーンにはコルシツキーの功績を讃え、「コルシツキー通り(Kolschitzky-gasse)」があり、その一角にはコルシツキーの銅像もあります。

コルシツキー像

(コルシツキー像:Wikipediaより)

ちなみに、Googleマップでは銅像の位置は以下の場所となります。

Googleマップ

(見えにくい場合はこちらから)

「青い瓶」は単なる逸話?

但し、上記のコルシツキーの話は有名な逸話です。実際のところは逸話が正しいのかどうかは分からないですが、1665年にウィーンに駐在していたオスマン大使である「カラ・マフムト・パシャ」によってコーヒーは既に伝えられており、1666年にはコーヒーが販売されていたという記録もある様です(参照;ワインバーグ・ビーラー著「カフェイン大全」)

また同書によると、1683年以前にウィーンにはコーヒーハウスが既に2軒あったとも考えられている様です。

どの話が本当かは分からないですが、ウィーンは現在でもカフェ文化が栄えているのは事実です。ウィーンではカフェは「第2の居間」とも表現されるほどの落ち着く空間であり、1度入ると数時間程度滞在するのも一般的と言われています。ちなみに、ウィーンのコーヒーハウスは日本のカフェと違ってBGMが流れていない点が特徴的です。

コーヒーハウス

(コーヒハウス「Im Cafe Central」:Wikipediaより)

そんなウィーンのコーヒーハウスは、2011年にはユネスコの無形文化遺産に登録され、カフェ文化そのものが世界から認められています。

カフェの文化が文化遺産として認められるというのはすごいですね。コーヒーが好きな方や歴史を辿ってみたい方は、是非一度ウィーンに行ってみましょう。

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